パークゴルフのクラブ

パークゴルフのクラブがどのようにして今の形になったかご存じですか ?

幕別という帯広の近所の町で、町庁舎そばの公園を使い、野芝の上をボールを転がしてみたら、面白かったので、競技が始まったというパークゴルフ発祥の物語は良く知られていますが、その時どんなクラブとボールを使ったのかということは案外話題になっていません。

最初から、現在使われているようなクラブやボールが存在していた訳がありません。

となると、どうしたのか。
答えはNPGA(日本パークゴルフ協会)のホームページにありました。NPGA > 協会概要 > 協会の沿革 からの引用です。

1983年(昭和58年) 6月前原懿(幕別町教育委員会教育部長)の発想でパークゴルフの原型が生まれる。幕別町運動公園(現 つつじコース)に7ホールのコースが造られた。
直径20センチのエンビ管を輪切りにして埋めた手作りのコースで、用具はグラウンドゴルフの借り物であった。その後、教育委員会の奨めで、PTA世代が関心を持ち、少数が遊び始める。

最初はグラウンドゴルフのクラブとボールを使ってプレイしたのですね。なるほど。納得です。
写真はJGGA(日本グランドゴルフ協会)のホームページから頂戴した写真ですが、こんな感じのクラブ(スティックと呼ぶこともあるようです)とボールを使ったらしい。
JGGAの年表をチェックすると『1982年~1983年 国の生涯スポーツ推進事業として、鳥取県泊村教育委員会において、グラウンド・ゴルフが誕生する』とあります。
従って、パークゴルフもグラウンドゴルフも、ほぼ同じ時期に、同じ道具を使って、競技としての骨格を形成させたということのようです。

幕別町のホームページの「幕別町パークゴルフ物語」に当時の事情が詳しく説明されています。

1983年6月に誕生したパークゴルフは、鳥取県東伯郡泊村(現在の湯梨浜町)で考案されたグラウンドゴルフをヒントに発案されました。
『3世代が一緒に楽しめる町の新しいコミュニティスポーツを考えていたとき、役場の仕事仲間が倉庫からグラウンドゴルフのスティック(クラブ)と木のボールを私のところに持ってきたんです。それがパークゴルフ誕生の糸口になりました。』と、当時、町教育委員会の部長になったばかりの前原さん。 (中略) 早速、役場の仲間とともにグラウンドゴルフを試してみたのです。しかし、その期待は見事に打ち破られてしまいました。乾いた土の上ではボールが転がりすぎて、ゴルフのように強く打つことができないのです。 (中略)
期待はずれの結果に肩をがっくり落としてしまった前原さんでしたが、ふと、目に入ったのは公園の芝生。『プレーするフィールドを、土の上ではなく起伏のある運動公園の芝生にしてはどうだろう?』
前原さんの胸は再び高鳴りだしました。

『今では到底考えられないことですが、まずは思い立ったと同時に公園に穴を掘ってみたんです。』
 今なお志をともに活動している三井巌さん(現・日本パークゴルフ協会常務理事)と共に、スコップで穴を掘って直径20㎝ほどの塩化ビニール管を埋め、カップに見立てました。夢中になって作業を進め、そうして出来上がったのが、発祥の地で知られる最初のパークゴルフ場、現在の「つつじコース」でした

また、北海道開発協会広報誌「開発こうほう」2006年9月号に掲載された「パークゴルフ誕生の軌跡」という記事でも同じエピソードが紹介されています。

この二つの記事のネタは、推定ですが、NPGAのサイトにある二つの論文がベースになっているのではないかと思います。

以下、この二つの論文を中心に展開させますが、その前にもう一度 NPGA > 協会概要 > 協会の沿革 から。

1987年(昭和82年) 4月パークゴルフクラブ(当時はスティック)をニッタクス(当時は新田ベニヤ工業㈱)が開発販売開始。

とあります。多分、この時、現在の形に近いバークゴルフのクラブが一般に手に入るようになったのでしょう。
何故、パークゴルフはグラウンドゴルフのクラブをそのまま使い続けなかったのか ?
その理由は二つの競技のプレー方法の違いです。その辺りを、直前に紹介した論文で前原さんが書いています。

前原論文のURLアドレスには同じ幕別町の企画調整課副主幹の長谷さんの『太陽と遊ぶ「PARK GOLF」』と題する論文も置かれています。パークゴルフの発祥に関する二つの論文の記述はほぼ同じですが、それぞれの立場で書かれていて、比較して読むと大変に興味深いです。

長谷さん論文はパークゴルフの発祥時の幕別役場の雰囲気が生き生きと描かれています。

パークゴルフ専用クラブ開発に関する記述の部分も引用しましょう。

この二つの論文は「パークゴルフ 発祥 クラブ」というキーワードでググって見つけたのですが、NPGAホームページの関連図書にリンクがあります。他にも面白い論文が満載ですので、是非アクセスしてみて下さい。

さて、左がグランドゴルフ(GG)、右がパークゴルフ(PG)の最新のクラブです。どちらも最上級のクラブです。

GGクラブはゴルフのパターの形に、PGクラブはゴルフのドライバーの形に似ています。この違いは、GGはホールの最大距離が50メートルなので、転がせば良いが、PGは100メートルになるため、飛ばす必要があるためでしょう。
ただ、どちらのクラブも、危険防止のため、空中高くボールを上げることを禁止するので、クラブヘッドの角度はゼロとなっています。

ところでこの二つのクラブの価格、いくらだと思いますか。

GGは!6K円、PGは160K円です。一桁違う。
何故、こういうことになるか。理由は二つ。

  • PGクラブの製造部品の価格の高さと製造工程の複雑さ
  • GGクラブはJGGAのクラブ製造規則で上限価格が!8K円

一番目の理由については、この動画を見ていただければ納得でしょう。

もちろん、製造工程を改良することや、安価な製造部品を使うことで、低価格の製品は作られています。
それでも、GGクラブはスティックタイプの一番安いGGクラブが5K円なのに対し、PGクラブは倍以上の10K円以上です。
パークゴルフはボールを強く叩いて打つという競技の性格のため、クラブは頑丈に作らないといけない。価格差は、この理由によるもので、やむ終えないのでしょう。

二番目のルール。JGGAが規則でクラブの価格の上限を制限しているとはビックリですね。自由競争、スポーツの経済学を無視したこんな規制があるとは。
JGGAは国の主導で設立され、体協の下で動いているから、こんな変な規則が作られるのでしょうか。
JGGAは正義の味方。「高齢者を騙して、バカ高いクラブを売りつけるメーカーは排除するぞ」ということですかね。しかし、「高いクラブを作っちゃ駄目」と言われたら、後発メーカーは参入する気にならないのではないでしょうか。

この件(GGクラブの価格制限)、あまりに理屈に合わないので、調べた内容を P.S.として追記します。

その厳しい環境下で、クラブの改良が進められたとは素晴らしい。

写真のゴルフクラブはセンターシャフト・マレット型の最新パターです。直前の高級GGクラブと同じ考え方で設計されているようです。この構造(センターシャフト)がホールに対して最も真っ直ぐにクラブを振れるという理論に基づきます。ゴルフのパター構造の最新技術がグランドゴルフに取り入れられているのですかね。


こちらはゴルフのドライバの写真です。
最新型はメタル製ですので、PGクラブと素材は全く異なりますが、この形が一番空気抵抗が少なく、丈夫なので、PGクラブはこの形となったのでしょうか。

どちらのクラブもそれぞれの用途に合わせ進化していることが理解頂けると思います。

国の肝入りでグラウンドゴルフという新しいスポーツが立ち上がり、その道具を利用してパークゴルフというもう一つ別の遊びが遠く離れた場所で始まったということでした。
ケイマンゴルフなどゴルフに似た代替の遊びはいろいろ発明されましたが、この二つのスポーツだけが、競技人口を拡大し、全国に広がっているというのは興味深いです。シンプルにクラブを一本だけにして、ボールを飛ばし、転がす楽しさを味わわせてくれるという部分が支持された理由でしょう。

P.S.グラウンドゴルフクラブの価格制限について

価格制限あるという情報は以下の二つのサイトに書かれています。
(1).「【グラウンドゴルフ】クラブの選び方と価格帯を解説!」(2019年11月6日公開)
(2).「グランドゴルフメーカーは協会認定を買わないと損!」(2017年10月21日公開)

どちらもJGGAがクラブの価格上限を決めているとの説明があり、(1)が18000円、(2)が16200と金額の表示があります。どっち数字が正しいのかとJGGAのサイトを捜しましたが、クラブに関する基準の文書は見つかりませんでした。最新のクラブの価格はどうなっているのだろうと検索したら、ハタチ、アシックスなど公認メーカーの2万円を越えるものがいくつか販売されていて、最大は3万8000円でした。

どうも矛盾だらけですね。

「変だなぁ」と思い、(1)を読んだら、用具標準規則という引用があり、その後に、クラブ価格の上限制限が18000円であると書かれています。その記述の中に、JGGAサイトの「用具標準規則」へのリンクがありますが、リンクは切れています。

それぞれの記事が書かれた日付から判断して2017年にはクラブ価格の上限が1万6千円だったが、2019年には1万8千円となり、直近では3万8千円のクラブが登場している。JGGAは「用具標準規則」でクラブの形状については規制しているが、価格については実質規制を撤廃し、公認メーカー間の自由競争に任せている。このため規則の公開も中止した。

ということですかね。

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